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【あの人は今こうしている】 2005年10月25日 掲載
クールファイブの内山田洋1日400万から500万稼いだこともありました 「長崎は今日も雨だった」「噂の女」「そして、神戸」「東京砂漠」……。昭和40年代から50年代にかけてヒット曲を連発した「内山田洋とクールファイブ」。昭和62年にボーカルの前川清が抜け、平成8年、新メンバーを加えて「再び長崎」で巻き返しを図った。しかし、その後は話題を聞かない。リーダーの内山田さん、今どうしているのか。 「残念ながら、新メンバーのクールファイブは不発に終わりました。べつに解散したわけじゃないんですけどね。営業に行っても、みなさん、売れてた頃のクールファイブを覚えてるもんで、新メンバーだと違和感があるのね。で、なかなか“内山田洋とクールファイブ”って看板が上げられない。だったら、顔が売れてる内山田さんだけでいいや、ってことになっちゃって。結局、最近はボクひとりでステージを務めることが多いんです」 地下鉄赤坂見附駅に近い喫茶店で会った内山田さん、こういって苦笑した。えっ、バックコーラスで♪ワワワワ〜ン……とやってた印象しかない内山田さんがソロで? 「アナタね、これでもボクは昭和32年から米軍の白木原ベースキャンプ(福岡県)を皮切りに音楽活動してきて、それもバンド出身だから、いろんなジャンルがこなせるミュージシャンなんです。営業の依頼があると、まずその土地柄やお客さんの年代層を前もって聞いて、港町なら海にちなんだ演歌を歌う。最近はお母さんに連れられた若い女性もチラホラ見受けられ、そんな場合はKinKi Kidsの『ガラスの少年』を披露する。内山田のステージは楽しいと評判いいんですよ」 その後は福岡や長崎のクラブやキャバレーを中心に歌い、42年、長崎の「クラブ銀馬車」で内山田洋とクールファイブを結成。44年、「長崎は今日も雨だった」でレコードデビューし、これがいきなりの大ヒット。 「前川清のぶつけるような歌声が良かったんだね。クールファイブが売れて、景気がいい時代には1日400万から500万円稼いだこともありました。ホント、今から振り返ると夢みたいな話だけど。しかし、正直、62年に前川が抜けてからは、尻すぼみになっちゃった。いや、前川が抜ける件については、反対しませんでした。彼も40になってクールファイブを卒業、やりたい道を進みたかったんだと思う。一方、ボクもいつまでも前川頼りは嫌だった。前川は高校2年で中退して、ボクのところに来たんですよ。それだけに、持ち前のトボケた面を発揮しながら、芝居や歌に活躍してるのを見るとうれしいね」 ここ数年は「若い人をどう引っ張っていくか?」「ザ・芸能界」などのテーマで講演を頼まれることも多いとか。作曲も手がけ、内山田音楽出版株式会社を持っている。 「ボクが作ったクールファイブの曲は『東京砂漠』などヒット曲の3分の1くらいかな。音楽著作権協会からは“理事になったらどうか?”って勧められてる。でも、ボクは自分で食えるうちは現役でやりたいんですよ。実はその一環で、この8月、20代のピチピチした女のコと組んで内山田洋とクールガールズってグループを作ったの。やっぱり、若い女のコがいると、お客さんの見る目も違ってくる。いや、ステージに張りが出てきたな」 24歳のときに結婚した夫人と横浜市内にある82坪の自宅にふたり暮らし。38歳の長男は会社を経営しているそうだ。 |
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